尊王攘夷運動とは何か?【簡単にわかりやすく解説】

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志士から英霊へ: 尊王攘夷と中華思想 (犀の教室Liberal Arts Lab)

 

幕末期と呼ばれる江戸時代末期に
尊王攘夷派による
尊王攘夷運動というものが行われます。

 

この尊王攘夷運動によって、
日本の歴史は大きく動き始めます。

 

尊王攘夷運動とは何か?
どのようなものだったのか?などなど
尊王攘夷運動について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。

 

 

尊王攘夷運動とは?

逆説の日本史21 幕末年代史編4/高杉晋作と維新回天の謎

尊王攘夷運動とは、幕末に
尊王攘夷派によってさかんに
行われた反幕府運動です。

 

江戸幕府のやり方に不満を持っていた
尊王攘夷派の下級武士たちが
朝廷の尊王攘夷派公家と結んで活発な
反幕排外運動を行ったのです。

特に長州藩(山口県)や水戸藩(茨城県)を中心に
地位が低い武士に広まっていきます。

 

また1858年から
井伊直弼によって行われた安政の大獄
多くの尊王攘夷派で処罰されます。

このことは尊王攘夷派を刺激し、
ますますその運動は激しくなりました。

 

尊王攘夷運動の具体的な出来事

ここでは、具体的な
尊王攘夷運動の出来事
紹介していきます。

  • 桜田門外の変
  • ヒュースケン殺害事件
  • 東禅寺事件
  • 生麦事件
  • イギリス公使館焼き討ち事件
  • 下関砲撃事件
  • 薩英戦争

 

尊王攘夷派の人々は外国人を襲い
ヒュースケン殺害事件などが起こります。

ほかにも、長州藩士
高杉晋作久坂玄瑞伊藤博文(伊藤俊輔)らは
外国船を砲撃を行ったり、日本にある
イギリス公使館を焼討ちにするなど
過激な反幕府運動を行います。

 

また井伊直弼は、尊王攘夷派を
安政の大獄によって弾圧したことで
水戸藩士らに暗殺されてしまいます(桜田門外の変)。

 

しかし、尊王攘夷運動の中心であった
長州藩や薩摩藩(鹿児島県)は、薩英戦争や
四国艦隊下関砲撃事件などで
外国勢力の実力を見せつけられます。

攘夷が不可能であると悟ると、
攘夷論から開国論へと転換をして
幕府を倒す倒幕運動が繰り広げられるようになっていったのです。

 

尊王攘夷運動が起こる経緯

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江戸時代には、
主君と臣下の違いを説いた朱子学
日本古来の精神を主張した復古主義の
国学が盛んとなります。

 

その中で、天皇を尊ぶ「尊王」論が高まります。

また1853年に
ペリー率いる黒船が来航したことで
外国勢力を追い払う「攘夷」論が広まります。

 

その思想的基盤となったのは
藤田東湖、会沢安(正志斎)らが
唱えた水戸学です。

 

これらの思想の人々は、夷敵(いてき)として
退けるべき西洋諸国の圧力に屈した幕府が、
国交を開いたことで憤激します。

 

さらに開国後は、外国貿易に伴って
国内で生活必需品が
不足してしまい、
物価が上昇します。

庶民の生活ははなはだしく貧困し、
諸藩の下級武士たちは幕政への
不満をつのらせていったのです。

 

最後に

逆説の日本史19 幕末年代史編2/井伊直弼と尊王攘夷の謎

尊王攘夷運動とは何か?
どのようなものだったのか?などなど
尊王攘夷運動について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。

 

少しでもあなたの参考になれば幸いです。

 

 

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