柴田勝豊(しばたかつとよ)は
室町時代の末期から安土桃山時代にかけての武将です。
誕生時期:1556年
死亡時期:1583年4月16日
あわせて読みたい
室町時代 (1336年から1573年まで) とは?どんな時代だった?【重要人物の最期(死因)も公開】
室町時代 (むろまち じだい) とはいったいどんな時代だったのか? この記事では室町時代の歴史ついてなるべく簡単な言葉でわかりやすく解説し最初から最後までを年表で...
あわせて読みたい
安土桃山時代 (1573年から1603年まで) とは?どんな時代だった?【重要人物の最期(死因)も公開】
天下統一をかけた戦いが頻繁におきた 室町時代の後半から安土桃山時代は 戦国時代と呼ばれることも多いです。 あの織田信長や徳川家康、 豊臣秀吉や明智光秀など...
福井県「丸岡城」の
築城者としても有名です。
あわせて読みたい
丸岡城ってどんな城?城主は誰?【丸岡城の歴史や見どころをわかりやすく解説】
丸岡城(まるおかじょう)は 福井県坂井市丸岡町霞にあった城で、 別名「霞ヶ城」としても知られています。 丸岡城はどんな城だったのか? 丸岡城の城主は誰だった...
柴田勝豊とはどんな人なのか?
何をした人なのか?などなど
柴田勝豊について
この記事でなるべくわかりやすく
簡単な言葉で紹介していきます。
あわせて読みたい
人気で有名な日本のお城とその城主について🏯【都道府県別】
弘前城(ひろさきじょう) 仙台城(せんだいじょう) 久保田城(くぼたじょう) 甲府城(こうふじょう) 松本城(まつもとじょう) 上田城(うえだじょう) 高松城(たかまつじょう) ...
目次
柴田勝豊とは?【生涯をざっくりとわかりやすく解説】
- 柴田勝豊の誕生日
- 柴田勝豊、柴田勝家の養子に
- 柴田勝豊、丸岡城を築城
- 柴田勝豊、長浜城の城主に
- 柴田勝家から秀吉への寝返り
- 柴田勝豊の最期
柴田勝豊の誕生日
柴田勝豊は、柴田勝家の家臣である
吉田次兵衛の子として生まれます。
あわせて読みたい
柴田勝家ってどんな人?何をした人?【わかりやすく簡単な言葉で解説】
柴田勝家(しばたかついえ)とは 戦国時代(室町時代後期)から 安土桃山時代までを生きた武将です。 誕生時期:1522年 死亡時期:1583年6月14日 https://tromolo.jp/muroma...
また、父が渋川八左衛門で、後に
吉田次兵衛の養子になったという説もあります。
幼名は伊介で
生誕月日は分かっていません。
生母は柴田勝家の姉であることから、
柴田勝家の甥にあたります。
柴田勝豊、柴田勝家の養子に
伯父、柴田勝家が織田信長を廃し
信長の弟・織田信行を当主にしようと
林通勝らと稲生の戦を起こしますが、敗北します。
このことにより、柴田勝家は
織田信長に仕え、筆頭家老となります。
あわせて読みたい
織田信長ってどんな人?何をした人?【わかりやすく簡単な言葉で解説】
織田信長(おだのぶなが)は 戦国時代(室町時代末期)から 安土桃山時代を生きた武将・戦国大名です。 織田信長が生まれた日:1534年6月23日 織田信長の最期の日...
あわせて読みたい
織田信長の性格について【長所や短所なども簡単に紹介】
織田信長はどんな性格だったと思いますか? 怖くて残忍…そんなイメージを持つ 人がもしかしたら多いかもしれませんね。 この記事では 織田信長の...
その後、柴田勝家に実子がいなかったため
柴田勝豊は柴田勝家の養子となります。
柴田勝豊、丸岡城を築城
1575年、伯父柴田勝家が
越前国(現在の福井県)の49万石の
支配を任され、北ノ庄城主となります。
1576年、柴田勝豊は柴田勝家の持つ4万5000石を
譲り受け、北野庄城の支城となる
丸岡城を築城し、城主となります。
あわせて読みたい
丸岡城ってどんな城?城主は誰?【丸岡城の歴史や見どころをわかりやすく解説】
丸岡城(まるおかじょう)は 福井県坂井市丸岡町霞にあった城で、 別名「霞ヶ城」としても知られています。 丸岡城はどんな城だったのか? 丸岡城の城主は誰だった...
柴田勝豊、長浜城の城主に
1581年、織田信長の京都御馬揃えで
柴田勝家とともに上洛して参加します。
しかし翌年、
本能寺の変が起き、信長が自害します。
あわせて読みたい
本能寺の変とは何か?【織田信長と明智光秀の関係や、織田信長の遺体についても解説】
※本能寺の変が起きた日:1582年6月2日(安土桃山時代) 織田信長は天下統一まであともう少しというところで、本能寺の変によって夢が断たれました。 https:...
あわせて読みたい
日本のお寺の歴史をわかりやすく簡単に【都道府県別】
■人気の日本のお寺まとめ 妙心寺(みょうしんじ) 東本願寺(ひがしほんがんじ) 龍安寺(りょうあんじ) 仁和寺(にんなじ) 東福寺(とうふくじ) 天龍寺(てんりゅうじ...
6月に行われた清洲会議によって
柴田勝豊は、柴田勝家の所領となった
近江・長浜城の城主となります。
そのとき、丸岡城には
安井家清(佐久間盛政の家老)が入城します。
あわせて読みたい
長浜城ってどんな城?城主は誰?【長浜城の歴史や、観光での見どころをわかりやすく解説】
長浜城(ながはまじょう)とは 滋賀県長浜市公園町にあったお城です。 長浜城はどんな城だったのか? 長浜城の城主は誰だったのか? この記事では...
柴田勝家から秀吉への寝返り
1582年12月、賤ケ岳の戦いの前に
羽柴秀吉(豊臣秀吉)が5万の大軍をもって長浜城を包囲します。
あわせて読みたい
豊臣秀吉ってどんな人?何をした人?【わかりやすく簡単な言葉で解説】
豊臣秀吉(とよとみひでよし)は 戦国時代(室町時代末期)から 安土桃山時代を生きた武将・大名です。 誕生時期:1537年3月17日 死亡時期:1598年9月18日 https:/...
そこで大谷吉継の調略を受けて
長浜城を明け渡し、羽柴側に寝返りました。
これは、柴田勝家が同じ養子でも
柴田勝政を優遇し、柴田勝豊を冷遇したようで
なおかつ従兄にあたる佐久間盛政とも
仲が悪かったことなどの理由があったといわれています。
正月の年賀の席で年長の柴田勝豊を差し置いて
佐久間盛政に柴田勝家の杯をとらせようと
したなどの確執があったようです。
柴田勝豊の最期
しかし、そのころ柴田勝豊は
すでに病を得て床に伏せっていました。
そのため、1583年の賤ケ岳の戦いでは
家臣を代理として参戦させます。
そして賤ケ岳の戦いの直前、
秀吉の勧めで京都で治療をしますが
京都の東福寺にて病死します。
あわせて読みたい
東福寺とは?【歴史や見どころをわかりやすく解説】
東福寺(とうふくじ)は 京都府京都市東山区本町十五丁目にあるお寺です。 臨済宗東福寺派大本山の寺院で 山号を慧日山(えにちさん)と言います。  ...
1583年4月16日、28歳という若さでした。
また、柴田勝家滅亡の8日前でした。
柴田勝豊死後の丸岡城
柴田勝家が滅びたあと、
北ノ庄は羽柴秀長の所領となり、
丸岡城には青山宗勝が入ったとされます。
あわせて読みたい
豊臣秀長ってどんな人?何をした人?【わかりやすく簡単な言葉で解説】
豊臣秀長(とよとみ ひでなが)は 戦国時代(室町時代後期)に誕生し 安土桃山時代までを生きた武将、大名です。 豊臣秀長の誕生時期:1540年4月8日 豊臣秀長の死...
最後に
柴田勝豊とはどんな人なのか?
何をした人なのか?などなど
柴田勝豊について
この記事でなるべくわかりやすく
簡単な言葉で紹介しました。
少しでもあなたの参考になれば幸いです。
あわせて読みたい
人気で有名な日本のお城とその城主について🏯【都道府県別】
弘前城(ひろさきじょう) 仙台城(せんだいじょう) 久保田城(くぼたじょう) 甲府城(こうふじょう) 松本城(まつもとじょう) 上田城(うえだじょう) 高松城(たかまつじょう) ...