長浜城ってどんな城?城主は誰?【長浜城の歴史や、観光での見どころをわかりやすく解説】
長浜城(ながはまじょう)とは
滋賀県長浜市公園町にあったお城です。
長浜城はどんな城だったのか?
長浜城の城主は誰だったのか?
この記事では
長浜城の歴史や城主だけでなく
観光での見どころについても
簡単にわかりやすく解説していきます。
目次
長浜城の歴史について
長浜城の歴史をたどっていくと
安土桃山時代にまでさかのぼります。
長浜城の初代城主は豊臣秀吉で、1573年に築かれました。
この長浜城は、豊臣秀吉が
初めて城持ちの武将となった城です。
当時「今浜(いまはま)」と呼ばれていた
この地を、織田信長の名から一字拝領して
「長浜」と改名されたそうです。
そのためこの城は
「今浜城」とも呼ばれていたとのこと。
天正元年(1573)9月、浅井氏が滅亡すると、藤吉郎は戦功により浅井氏の領地の大部分を与えられ、 羽柴秀吉(はしばひでよし)と名乗り、はじめて城持(しろもち)の大名に出世しました。
翌年、今浜(いまはま:現在の長浜)が交通の要衝であると考え、お城を造り始めました。
天正3年秋頃、お城が完成すると地名を今浜から「長浜(ながはま)」に改め、秀吉は小谷城から家族とともに移り、天正10年(1582)まで住んでいました。 この間、秀吉はこの長浜城から信長の先兵として北陸攻めや中国攻めへと出発していったのです。
引用:長浜市公式ホームページ
本能寺の変の後は、
柴田勝家の甥の柴田勝豊が
この長浜城に入城します。
その後も時代の流れと共に
山内一豊、内藤信成と
長浜城の城主がかわりましたが、
1615年の大坂の陣で内藤氏が移封され、
それにあわせて長浜城も廃城となります。
現在、長浜城のあった地には、
1983年に造られた模擬天守があり、
市立長浜城歴史博物館として運営されています。
これは豆知識ですが
長浜城のほとんどの資材は
彦根城の築城に利用されたそうです。
彦根城にある天秤櫓は
長浜城から移したものと言われています。
長浜城の見どころとは?観光前に要チェック!
ここでは
長浜城の見どころを
紹介していきます。
市立長浜城歴史博物館【長浜城の見どころ】
現在の長浜城は、
2層の大屋根に望桜をのせた様式で、
犬山城や伏見城がモデルとなっています。
城内は歴史博物館となっているのと、
5階の展望台からは長浜市の景色を一望できます。
また、長浜城跡に作られた豊公園は、
春になると満開の桜が城を取り囲みます。
竹生島【長浜城の見どころ】
竹生島(ちくぶしま)は
琵琶湖の北に浮かぶ周囲2㎞程の島です。
都久夫須麻神社本殿、
極楽門、舟廊下などがあり、
歴史好きには欠かせないスポットです。
竹生島へは長浜港、彦根港、
今津港から船で行くことができますが、
琵琶湖汽船は事前予約が必要です。
小谷城跡【長浜城の見どころ】
長浜市にある小谷城(おだにじょう)跡は、
浅井長政や織田信長、豊臣秀吉など著名な
戦国武将が戦いを繰り広げた舞台です。
小谷山のふもとには
「小谷城戦国歴史資料館」があって
小谷城の歴史だけでなく山城としての
建築の工夫などをわかりやすく解説しています。
最後に
この記事では長浜城の歴史や城主、
観光での見どころについても
なるべくわかりやすく解説しました。
日本のお城の歴史や城主に興味のある方や
これから長浜城を観光する方などにとって、
この記事が少しでも参考になれば幸いです。