日本に古くからある文化で、
家系や血統、地位・家柄などを表すために
使われていた「家紋」というものがあります。
豊臣秀吉の側近として忠誠を尽くした
石田三成(いしだみつなり)は2つの家紋と
1つの旗印を使っていたと言われています。
この記事では
石田三成の家紋や
石田三成の旗印について紹介していきます。
石田三成の家紋について
石田三成は次の2つの家紋を使用していました。
- 九曜紋
- 下り藤
九曜紋【石田三成の家紋】
石田三成はもちろんのこと、石田家が
九曜紋(くようもん)を使用していました。
中央の大きな円のまわりを
八つの小さな円で囲んだデザインです。
石田三成の他にも、
伊達政宗や細川忠興、片倉小十郎なども
家紋として九曜紋を使用していたそうです。
九曜紋の意味についてですが、
次の9つの星を表しています。
- 月曜
- 火曜
- 水曜
- 木曜
- 金曜
- 土曜
- 日曜
- 計都(けいと)
- 羅睺(らご)
九曜紋とは元々、
インド天文学やインド占星術が
扱う9つの星を神格化したものです。
これらが平安時代に中国から日本へと伝わり、
貴族や武士の間で信仰の対象として用いられたのです。
下がり藤【石田三成の家紋】
石田三成は、家紋として
下がり藤(さがりふじ)も
使用していたのではないか?
と考えられています。
この下がり藤の家紋は
二つの藤の花を左右に
輪の形に垂らしたデザインです。
ちなみに逆向きの
「上がり藤」という家紋も存在します。
江戸時代の関ケ原の戦いの屏風に
下がり藤が描かれていることから、
石田三成が家紋として使っていたのでは?
と考えらえるようになったそうですが真相は不明です。
他の史料などでも記録がないため
実際どうかについてはやはり定かではありません。
下がり藤の家紋は、
藤原鎌足(中臣鎌足)や藤原道長などの
藤原家が使っていたことで有名ですが、
他にも黒田又兵衛(後藤基次)や
加藤嘉明も家紋として使っていたと言われています。
大一大万大吉とは?【石田三成の旗印】
石田三成の紋所として有名なのが
「大一大万大吉(だいいち だいもん だいきち)」です。
歴史好きな方であれば
石田三成の家紋として
この大一大万大吉をイメージする人も
中にはいるかもしれません。
しかし実はこれ、
石田三成の家紋ではないのです。
厳密にいうと「旗印(はたじるし)」です。
旗印とは戦に持っていく旗に描く印のことで、
関ケ原の戦いを描いた絵にも、
この「大一大万大吉」が描かれています。
ちなみに大一大万大吉とは、
次のような意味を持ちます。
一人は万民の為に、万民は一人の為に尽くせば、人々は幸福(吉)になれる。
簡単に言えば
「皆は一人の為に、一人は皆の為に」という意味です。
現代でも、特にスポーツの場などで
この言葉はよく登場しますよね。
昔から人々の心を動かしてきたこの言葉は
名言の殿堂入り間違いなしです。
平安時代には、源義仲(木曾 義仲)を倒した
石田為久という武将がこの紋所を使用し、
山内氏や五味氏なども使っていたと言われています。
これは豆知識ですが
石田為久と石田三成は同姓ですが
血縁関係はないと考えられています。
最後に
この記事では
石田三成の家紋や旗印について解説しました。
少しでもあなたの参考になれば幸いです。