織田信長のお城というと
何を思い浮かべますか?
織田信長は領土の拡大に合わせて
居城も次々に替えていった人物です。
この記事では、
織田信長が住んでいた城(居城)や
建てた城について解説していきます。
織田信長が住んでいた城(居城)や建てた城
織田信長の城について
以下の6つの城を紹介していきます。
勝幡城【織田信長が産まれたお城】
織田信長の最初の居城であり
産まれた場所が勝幡城(しょばたじょう)です。
※勝幡城の場所は現在の愛知県稲沢市です。
織田信長の産まれたお城について
那古野城という説もありますが、
近年では勝幡城で誕生した説が有力となっています。
天文3年(1534年)に信秀の嫡子・織田信長は、勝幡城で産まれたといわれています。のちに清洲城が「弾正忠家」の本拠となり、家臣で城代の武藤掃部も尾張野府城へ移されたため、次第に衰退して、勝幡城は廃城となりました。
引用:稲沢市観光協会公式HP
那古野城【織田信長が父「織田信秀」から譲り受けた城】
織田信長の父「織田信秀」は、
1542年頃に那古野城(なごやじょう)を
織田信長に譲り渡したとされています。
※那古野城を拡張して築かれたお城が名古屋城です。
この時、織田信長はわずか9歳でした。
ちなみに信長の父「織田信秀」は
那護屋城を織田信長に譲った後
自らが新しく築いた古渡城へ移動しています。
間違いやすいのは
名護屋城と那古野城(なごやじょう)。
佐賀県唐津市にある名護屋城(なごやじょう)は
豊臣秀吉が朝鮮出兵のために出兵拠点として築いた城です。
織田信長の城「那古野城(なごやじょう)」は
現在の愛知県名古屋市中区にあったお城です。
清洲城【織田信長と徳川家康が清洲同盟を結んだ城】
1555年、織田信長は織田信友を倒して
居城を清洲城(きよすじょう)へと替えます。
その際に
那古屋城を家臣へ譲りますが、
後に廃城としています。
この清洲城は、徳川家康と清洲同盟を結んだことでも知られています。
小牧山城【織田信長が最初に建てた本格的な城郭】
次に織田信長は
美濃(現・岐阜県)を攻略する為に
1563年に小牧山城(こやまじょう)を築きます。
小牧山城は、
織田信長が最初に建てた本格的な城郭です。
この織田信長のお城は、
濃尾平野が一望できる特徴があり
美濃国を治めていた斎藤氏の居城であった
稲葉山城の様子も見ていたと考えられています。
1567年に美濃を制圧した織田信長は
4年でこの城を離れ、同時に廃城とします。
岐阜城【織田信長が大改修をした城】
1567年、小牧山城から織田信長は
斎藤氏の居城だった稲葉山城へと移り
同時に城の名前を岐阜城(ぎふじょう)と改めています。
このとき織田信長は
岐阜城の大改修を行い
課税を免除した楽市楽座を設けて、
城下の経済を活性化させます。
またこの頃から、昔の中国の王様が
岐山(きざん)という山を拠点に
天下を治めたことに倣って名前を”岐阜”と改めたり、
”天下布武”の印章を使い始めたりと
織田信長の天下統一への意欲が現れています。
岐阜城に約9年ほど住んだ後、
織田信長はこの岐阜城を
子ども(長男)の織田信忠へ譲り、
次の城へ移り住みます。
安土城【織田信長の城として1番有名な城】
1576年、現在の滋賀県近江八幡市に
築城が開始されたのが安土城(あづちじょう)です。
織田信長の城としては一番有名ですね。
場所は京の都と岐阜の中間地点で
上杉謙信への備えなども踏まえて
戦略的に考えられたといわれています。
1579年の完成直後に、
織田信長はここに移り住んでいます。
織田信長の築いた安土城は
技術的にも優れていて、当時
石垣の上に城を建てるというのは、革新的なことでした。
標高150mの安土山に
地下1階地上6階建ての天守を建てており、
まさに天下人の城といえますね。
なお、安土城は本能寺の変の後、
何者かによって焼失してしまいます。
最後に
この記事では、
織田信長が住んでいた城(居城)や
建てた城について簡単に解説しました。
少しでもあなたの参考になれば幸いです。
■織田信長の城