織田信長の妻「濃姫(帰蝶)」とは何者なのか?【織田信長の妻は濃姫だけじゃない!?】

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女性と月と傘
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信長の女 (集英社文庫)

 

織田信長の妻である
濃姫(帰蝶)を御存じですか?

この濃姫(のうひめ)。
日本で有名な織田信長の妻ですが、
実は謎多き女性なんです。

誕生時期:1535年
死亡時期:1612年8月5日

 

 

この記事では
織田信長の妻「濃姫(帰蝶)」とは何者か?
濃姫以外にも、織田信長には妻(奥さん)がいたのか?
などなど、織田信長の妻(奥さん)について徹底解説します。

 

 

織田信長の妻「濃姫(帰蝶)」とは?

戦国姫 ─濃姫の物語─ (集英社みらい文庫)

 

織田信長の妻「濃姫(帰蝶)」は
どのような人物だったのでしょうか?

 

濃姫(のうひめ)は、1535年頃に
美濃のマムシ」と恐れられていた
斎藤道三の3女として産まれます。

 

濃姫の性格については、「気が強い」と
思わせるようなエピソードがいくつかあります。

しかし出どころは不明であり、本当か分かっていません。

 

  • 織田信長と濃姫(帰蝶)の結婚は、政略結婚?
  • 織田信長と濃姫(帰蝶)には子供がいなかった?
  • 織田信長の妻「濃姫(帰蝶)」は謎が多い?

織田信長と濃姫(帰蝶)の結婚は、政略結婚?

帰蝶(きちょう)

 

数年間、
織田信長の父である織田信秀と
斎藤道三は争いを続けていましたが、
後に同盟を結びます。

その証で濃姫(帰蝶)は、
織田信長の正室(妻)として織田家に嫁ぎます。

美濃から来たお姫様なので
「濃姫」と呼ばれました。

 

濃姫の父である斎藤道三
濃姫にスパイをさせるために織田家に嫁がせ、
信長も自身の勢力の拡大のために
利用したと考えられています。

 

つまり、
当時ではほとんど主流であった
政略結婚だったんですね。

 

 

織田信長と濃姫(帰蝶)には子供がいなかった?

信長と帰蝶 1

 

正室(妻)であった濃姫(帰蝶)ですが、
織田信長との間に子供はいませんでした。

後に、織田信長の長男として
織田信忠を養子にしています。

織田信忠―父は信長 (人物文庫)

 

 

織田信長の妻「濃姫(帰蝶)」は謎が多い?

戦国姫 花の巻 (集英社みらい文庫)

 

織田信長の正室(妻)であり、
斎藤道三の娘にもかかわらず
濃姫(帰蝶)に関しての史料は非常に少ないです。

織田信長のことについて
詳しく書かれてある「信長公記」にも、
濃姫の死については何も書かれていません。

 

濃姫の死については
以下の説が考えられています。

 

 

 

織田信長の妻(奥さん)は濃姫だけじゃない!?

織田信長: 天下統一をめざした武将 (学研まんがNEW日本の伝記)

 

織田信長の妻(奥さん)は
合計で9人いたと言われています。

濃姫は、正室と呼ばれる正妻ですが、
他の8人は子孫を残すための側室という存在です。

 

 

濃姫以外には
どのような妻(奥さん)がいたのでしょうか?

 

濃姫以外の織田信長の妻は以下の通りです。

濃姫以外の織田信長の妻
  • 生駒吉乃
  • お鍋の方
  • 華屋院(坂氏)
  • 養観院
  • 土方氏
  • 慈徳院
  • 春誉妙澄大姉
  • 原田直子

 

また、織田信長の子どもには、
母親不明な子が何人もいる為、他にも
側室がいたのではないかと言われています。

 

 

この側室たちの中でも、一番正室に
近かったと考えられているのが「生駒吉乃」。

 

 

先にも述べた
織田信長の長男の織田信忠を
産んだのは、生駒吉乃であります。

次男の織田信雄、
長女の徳姫の母でもあり
織田信長最愛の女性と言われています。

 

しかし生駒吉乃は若くして亡くなった為
息子の信忠は帰蝶の養子となりました。

 

 

最後に

織田信長 435年目の真実 (幻冬舎文庫)

 

この記事では
織田信長の妻「濃姫(帰蝶)」とは何者か、
濃姫以外に妻(奥さん)がいたのか、などなど
織田信長の妻(奥さん)について解説しました。

 

少しでもあなたの参考になれば幸いです。

 

 

 

 

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