清洲城ってどんな城?城主は誰?【清洲城の歴史や、観光での見どころをわかりやすく解説】

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清州城
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清洲城ペーパークラフト<日本名城シリーズ1/300>

 

清洲城(きよすじょう)
愛知県清須市にあったお城です。

 

清洲城とはどんな城だったのか?
清洲城の城主は誰だったのか?

 

この記事では
清洲城の歴史や城主だけでなく
観光での見どころについても
わかりやすく簡単な言葉で解説していきます。

 

清洲城の歴史について

清洲城と名古屋城―織田・豊臣から徳川へ (1971年)

 

清洲城の歴史は
室町時代にまでさかのぼります。

 

この清洲城の城主は斯波義重
1405年(応永12年)に築城されます。
※1375年(永和元年)築城の説もあり

 

斯波義重(しば よししげ)とは
室町時代前期に活躍していた
尾張、遠江、越前などの守護大名です。

  • 尾張:現在の愛知県西部
  • 遠江:現在の静岡県西部
  • 越前:現在の福井県北部

 

それ以後、清洲城は守護代の織田大和守家
居城として、織田家の本城として存在します。

そして1555年、清洲城の城主は変わります。
なんと、織田信長と組んだ織田信光
当時清洲城の城主だった織田信友を殺害

 

これにより織田家当主となった織田信長が、
那古野城から大改修を加えた後、本拠として清洲城へ移り住みます。

 

織田信長は約10年間も
この清洲城で住んでいたとされています。
桶狭間の戦いも清洲城から出陣していて
1562年にはこの城で徳川家康と同盟を結びます。

 

室町時代応永12年(1405年)、尾張国の守護職であった斯波義重が、守護所であった下津城(稲沢市)の別郭として建てられたのが清須城の始まりといわれています。

弘治元年(1555年)に織田信長公が那古野城(なごやじょう)から入城、尾張を統一掌握したころの清須城の基本構造は、守護の館と同じだったと考えられています。

永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いに勝利した信長公は、ここ清須から天下統一への第一歩を踏み出しました。

引用:清須市公式ホームページ

 

また、清洲城は1582年の本能寺の変後に
織田氏の跡継ぎや領地をめぐって行われた
清洲会議の場所としてとても有名です。

 

時代は流れ、清洲城の城主は
織田信長の次男の織田信雄になり
その後、福島正則に変わります。

 

しかし1609年、徳川家康によって
名古屋城築城の際の資材として利用され、
1613年に清洲城は廃城となりました。

 

清洲城のあった跡地は、
開発によって大部分が消失していて、
本丸土塁の一部が残っているのみです。

 

1989年に旧・清洲町の町制100周年を記念し、
本来あった本丸に隣接する地域に模擬天守を建設しています。

 

人気で有名な日本のお城とその城主について🏯【都道府県別】

 

 

清洲城の見どころとは?観光前に要チェック!

ペーパークラフト日本Meijoシリーズ1 / 300清洲城

 

ここでは
清洲城の見どころ
紹介していきます。

 

天守閣【清洲城の見どころ】

 

天守閣内部では清洲城と城下町、
織田信長を始めとする武将たちの
偉業や歴史についてをパネルや映像で楽しく知ることができます。

また、天守閣の最上階の展望台からは
五条川や対岸の古城跡を眺めることができます。

 

ふるさとのやかた【清洲城の見どころ】

城の前の大手橋を渡った場所に
無料休憩所の「ふるさとのやかた」があります。

清洲城や織田信長の偉業に因んだお土産なども販売しています。

 

 

最後に

ペーパークラフト日本Meijoシリーズ1 / 300清洲城

 

この記事では清洲城の歴史や城主、
観光での見どころなどについても
簡単にわかりやすく解説しました。

 

日本のお城の歴史に興味のある方や
これから清洲城を観光する方などにとって
この記事が少しでも参考になれば幸いです。

 

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