薩摩藩(さつまはん)とは
江戸時代に存在した領域です。
場所はどこだったのか?
何県だったのか?などなど
薩摩藩について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
薩摩藩とは?
薩摩藩とは、江戸時代に
現在の鹿児島県西部である薩摩国全域、
鹿児島県東部である大隅国全域、そして
宮崎県の南部である日向国の一部を領有した藩です。
薩摩藩は、現在の
鹿児島県全域と宮崎県の南部です。
そのため、鹿児島藩とも言います。
また、1609年に薩摩藩が
琉球王国(現在の沖縄県)を侵攻して
服属させた為、明治維新までの間は
沖縄県の大部分も薩摩藩の支配下にありました。
薩摩藩の歴史
ここでは簡単に
薩摩藩の歴史を解説していきます。
鎌倉時代から続く薩摩藩
薩摩藩は鎌倉時代の1197年に
薩摩、大隅、日向の守護を
命じられた島津忠久が統治を始めます。
薩摩藩は、鎌倉時代から幕末までの
約700年間もの間、一度も変わらずに
島津家が支配を続けています。
戦国時代の薩摩藩
戦国時代から安土桃山時代にかけて
薩摩藩を治めていた島津義久は、
ほとんど全九州を平定していました。
しかし、1587年に豊臣秀吉による
九州討伐で降伏し、薩摩、大隅、日向の
3か国60万5000石の大名となります。
江戸時代初期の薩摩藩
1600年に起きた関ヶ原の戦いでは
島津義弘は石田三成率いる西軍として参戦。
西軍は敗れましたが、所領は安堵され
1602年に鹿児島に居城を築きます。
この時、井伊直政を通じて島津義弘の
三男である島津家久が当主に任ぜられ、
正式に薩摩藩が成立したとされています。
その後島津家久は、琉球王国を支配し、
最高石高は77万石、琉球を合わせて
90万石という大藩に昇りつめたのです。
幕末期の薩摩藩
1851年に、11代薩摩藩主に
島津斉彬が就任します。
島津斉彬は、日本で初めて西洋軍艦の建造や
反射炉、ガラスなどの西洋技術を取り入れ
産業の発展におおいに貢献します。
そして薩摩で生まれた西郷隆盛や
大久保利通らが1866年に薩長同盟を結び、
倒幕運動の中心人物として活躍したのです。
明治維新後の薩摩藩
明治新政府が樹立されると、
1871年に廃藩置県が実施されます。
全国の大名が所有する土地を
政府に返還する制度によって、藩政は廃止、
県令が発令される中央集権体制となります。
このとき多くの要職を
薩摩藩と長州藩出身の者が分けあう
薩長政治(藩閥政治)となり、2つの藩が
権力を独占することとなったのです。
最後に
この記事では
薩摩藩の場所はどこだったのか
何県だったのかなどなど
薩摩藩についてなるべくわかりやすく簡単な言葉で解説しました。