小笠原忠真(おがさわら たださね)は
安土桃山時代に誕生し
江戸時代前期までを生きた大名、茶人です。
誕生時期:1596年3月26日
死亡時期:1667年12月3日
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築城者でもあります。
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目次
小笠原忠真とは?【生涯をざっくりとわかりやすく解説】
小笠原忠真の誕生日
小笠原忠真は1596年3月26日、
下総国古河城(現・茨城県)に
小笠原秀政の次男として生まれます。
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母は徳川信康の娘、
徳川家康の孫にあたります。
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小笠原忠真の幼名は春松丸で、
元服すると徳川秀忠の一字を
賜り「忠政」と名乗ります。
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「忠真」と名前を変えたのは
晩年の頃といわれています。
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小笠原忠真、総領家の家督を相続
1615年の大坂夏の陣で
小笠原忠真は、父と兄の忠脩と共に
徳川秀忠に従軍します。
しかしこの戦で父と兄が戦死し、
小笠原忠真は総領家の家督を相続することとなります。
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小笠原忠真は、この戦の功績として
遺領・信濃松本(現・長野県)の8万石を継ぎます。
また、忠脩未亡人の
亀姫を正室とします。
小笠原忠真、播磨明石に移封
幕府の信任が厚かったようで
1617年、2万石の加増で播磨明石に
移封が決まります。
この時は急の移封で、
身分の低い者はついて行けず
松本に残ったものが多かったといわれています。
小笠原忠真は明石に家がなかったので
多くのものを三木城に入らせて
2年がかりで明石の造営をします。
小笠原忠真、豊前小倉に移封
その後、小笠原忠真は、
二条城や江戸城の普請など
幕府のために尽くします。
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その功で1632年に
豊前小倉15万石に移封され、
甥・長次、弟・忠知らも
豊前・豊後に移封となります。
これは小笠原家が九州探題の任も
兼ね備えていたと言われています。
小笠原忠真は豊前小倉藩の
初代藩主となります。
また、1637年から
起こった島原の乱の際には
長崎守備の任を果たし、
幕府九州支配の要となりました。
九州の見張りを命じられるとは
幕府の信頼が厚かったことが分かります。
また小笠原忠真は肥後国の細川家の当主が
まだ幼かったため、後見を命じられています。
小笠原忠真の最期
1663年、小笠原忠真は
左近将監に任じられます。
しかし
1667年12月3日に
小笠原忠真は亡くなります。
※小笠原忠真は福聚寺に葬られます。
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小笠原忠真は文化人としても活躍
小笠原忠真は大名茶人でもあり
同地の茶湯繁栄の基盤を築いた人物でもあります。
他にも上野焼の育成にも尽力し、
茶人の古市了和を召し抱えて、
小笠原家茶道古流を興じました。
1665年、黄檗宗の開祖
隠元隆琦の高弟子・即非如一を招いて
広寿山福聚寺を建立します。
その他にも小笠原忠真は
ぬか漬けが好きだったようで
小倉場入城の際にもぬか床を持ち込んで
城下の人たちにもぬか漬けを奨励したそうです。
その影響で、現代にいたるまで
旧城下の小倉では各家に代々継がれた
「百年床」というぬか床があるほどなのです。
最後に
小笠原忠真とはどんな人なのか?
何をした人なのか?などなど
小笠原忠真について
この記事でなるべくわかりやすく
簡単な言葉で紹介しました。
少しでもあなたの参考になれば幸いです。
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