清洲城(きよすじょう)は
愛知県清須市にあったお城です。
清洲城とはどんな城だったのか?
清洲城の城主は誰だったのか?
この記事では
清洲城の歴史や城主だけでなく
観光での見どころについても
わかりやすく簡単な言葉で解説していきます。
目次
清洲城の歴史について
清洲城の歴史は
室町時代にまでさかのぼります。
この清洲城の城主は斯波義重で
1405年(応永12年)に築城されます。
※1375年(永和元年)築城の説もあり
それ以後、清洲城は守護代の織田大和守家の
居城として、織田家の本城として存在します。
そして1555年、清洲城の城主は変わります。
なんと、織田信長と組んだ織田信光が
当時清洲城の城主だった織田信友を殺害。
これにより織田家当主となった織田信長が、
那古野城から大改修を加えた後、本拠として清洲城へ移り住みます。
織田信長は約10年間も
この清洲城で住んでいたとされています。
桶狭間の戦いも清洲城から出陣していて
1562年にはこの城で徳川家康と同盟を結びます。
室町時代応永12年(1405年)、尾張国の守護職であった斯波義重が、守護所であった下津城(稲沢市)の別郭として建てられたのが清須城の始まりといわれています。
弘治元年(1555年)に織田信長公が那古野城(なごやじょう)から入城、尾張を統一掌握したころの清須城の基本構造は、守護の館と同じだったと考えられています。
永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いに勝利した信長公は、ここ清須から天下統一への第一歩を踏み出しました。
引用:清須市公式ホームページ
また、清洲城は1582年の本能寺の変後に
織田氏の跡継ぎや領地をめぐって行われた
清洲会議の場所としてとても有名です。
時代は流れ、清洲城の城主は
織田信長の次男の織田信雄になり
その後、福島正則に変わります。
しかし1609年、徳川家康によって
名古屋城築城の際の資材として利用され、
1613年に清洲城は廃城となりました。
清洲城のあった跡地は、
開発によって大部分が消失していて、
本丸土塁の一部が残っているのみです。
1989年に旧・清洲町の町制100周年を記念し、
本来あった本丸に隣接する地域に模擬天守を建設しています。
清洲城の見どころとは?観光前に要チェック!
ここでは
清洲城の見どころを
紹介していきます。
天守閣【清洲城の見どころ】
天守閣内部では清洲城と城下町、
織田信長を始めとする武将たちの
偉業や歴史についてをパネルや映像で楽しく知ることができます。
また、天守閣の最上階の展望台からは
五条川や対岸の古城跡を眺めることができます。
ふるさとのやかた【清洲城の見どころ】
城の前の大手橋を渡った場所に
無料休憩所の「ふるさとのやかた」があります。
清洲城や織田信長の偉業に因んだお土産なども販売しています。
最後に
この記事では清洲城の歴史や城主、
観光での見どころなどについても
簡単にわかりやすく解説しました。
日本のお城の歴史に興味のある方や
これから清洲城を観光する方などにとって
この記事が少しでも参考になれば幸いです。