高松城(たかまつじょう)は
香川県高松市にあった城です。
高松城はどんな城だったのか?
高松城の城主は誰だったのか?
この記事では
高松城の歴史や城主だけでなく
観光での見どころについても
簡単にわかりやすく解説していきます。
目次
高松城の歴史について
高松城(たかまつじょう)の歴史は
安土桃山時代にまでさかのぼります。
高松城の城主は生駒親正(いこま ちかまさ)で
1588年に高松城の築城を開始します。
生駒親正は1587年に豊臣秀吉から
讃岐一国(現在の香川県)を与えられ、
地名「野原」を、この時に【高松】と改めます。
天正15年(1587)に讃岐一国を与えられた生駒親正は、翌年から数箇年かけて高松城を築城しました。このとき、「野原」の地名を「高松」と改めました。
引用:高松市公式ホームページ
この地名の「高松」が
高松城の名前の由来となります。
豆知識ですが高松城は別名で
「玉藻城」とも呼ばれています。
※玉藻城の読み方:たまもじょう
なぜ別名で玉藻城と呼ばれるのか?
それは柿本人麻呂が万葉集の中で
讃岐国の枕詞に「玉藻よし」と
詠んだことが由来だとされています。
高松城の城主は合計で15人です。
- 生駒氏の4人(1587年〜1640年)
- 松平氏の11人(1642年〜1871年)
※高松城の初代城主は生駒親正
生駒氏の代は50年以上続きました。
時代は江戸時代に移り、1642年に
徳川家康の孫である徳川光圀の兄
「松平頼重」が高松城の城主となります。
これ以降は、幕末まで松平家がおさめますが
松平頼重は2代に渡って、高松城を改修します。
まず、小倉城天主を手本とした唐造の天守、
さらに東ノ丸と北ノ丸を新しく造って
月見櫓や艮櫓(うしとらやぐら)と、三ノ丸に御殿を建てます。
それ以降高松城は
大きく改修されることはなく
時代は明治時代を迎えます。
1868年に官軍に開城することとなり、
翌年には版籍奉還により高松城は廃城。
1890年に再び松平家に売り渡されて
1945年に財団法人公益会に継承されます。
その後、次の4棟の櫓が
重要文化財に指定されます。
- 北の丸月見櫓
- 北の丸水手御門
- 北の丸渡櫓
- 東の丸艮櫓
1955年には国の史跡に指定されて
玉藻公園として一般に公開されます。
その後も天守台の補強や積み直し工事が行われ、
2013年から天守台の一般公開を再開しています。
高松城の見どころとは?観光前に要チェック!
ここでは
高松城の見どころを
紹介していきます。
月見櫓、水手御門、渡櫓【高松城の見どころ】
西門からまっすぐ奥へ向かうと
月見櫓、水手御門、渡櫓があります。
月見櫓は1676年に完成したものです。
期間限定で月見櫓の内部が
特別公開されていることがあるので
ぜひ、チェックしてみてください。
水手御門は海に向かって開いた門で
藩主はここで小舟に乗って、沖で御座船に
乗り換えて参勤交代に出かけたそうです。
艮門、旭門【高松城の見どころ】
大手門という東門から入った場所に
艮櫓(うしとらやぐら)、旭門があります。
艮門は重要文化財に指定されている一つで
月見櫓と同時期に建てられたものです。
三階三層の入母屋造りで、
初層に大きな千鳥破風があるのが特徴です。
※千鳥破風(チドリハフ)とは
屋根の斜面にある小さな三角形の破風です。
最後に
この記事では
高松城(たかまつじょう)の歴史や城主、
観光での見どころなどについても
なるべくわかりやすく解説しました。
日本のお城の歴史に興味のある方や
これから高松城を観光する方などにとって、この記事が少しでも参考になれば幸いです。