徳川家康の子供といわれたら
”徳川秀忠”を思い浮かべる人が
多いのではないでしょうか。
しかし実は秀忠以外にも、徳川家康にはたくさんの子供がいたのです。
この記事では
徳川家康には子供が何人いたのか、
こどもたち(息子や娘)の生涯についても紹介していきます。
徳川家康の子供は何人いたの?
現代にもいえることですが
当時の大名にとって跡継ぎ(子孫)を
作るということはとても大切なことでした。
では、徳川家康には子供が
何人いたのでしょう?
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徳川家康には
16人の実子がいました。
さらに、22人の養子・猶子も含めると
全部で38人の子供がいたのです。
※猶子=養子よりもルールが厳しくない親子関係。
単なる後見人としての関係であったりする。
当時の大名の中でも、
16人の実子がいたのは、とても多い方でした。
徳川家康の子供(実の息子と実の娘)について
徳川家康の実子である
16人の子供の名前は以下の通りです。
■徳川家康の子供(息子)
- 松平信康
- 結城秀康
- 徳川秀忠
- 松平忠吉
- 武田信吉
- 松平忠輝
- 松平松千代
- 平岩仙千代
- 徳川義直
- 徳川頼宣
- 徳川頼房
■徳川家康の子供(娘)
- 亀姫
- 督姫
- 振姫
- 松姫
- 市姫
徳川家康の子供(実子)の生涯について
以下でざっくりと、ささっと解説します。
松平信康【徳川家康の子供(実の息子)】
松平信康は、
徳川家康の跡継ぎ(長男)で
岡崎城の城主となります。
しかし、
武田氏への内通を疑われてしまい、
切腹させられてしまいます。
結城秀康【徳川家康の子供(実の息子)】
徳川家康の次男である結城秀康は
徳川家の跡継ぎとなる立場でした。
しかし小牧・長久手の戦いの和睦の際に
豊臣秀吉の養子となり、羽柴秀康と名を改めています。
徳川秀忠【徳川家康の子供(実の息子)】
徳川家康の跡継ぎとして
三男である徳川秀忠は江戸幕府2代将軍となります。
松平忠吉【徳川家康の子供(実の息子)】
松平忠吉は
東条松平家の家督を相続します。
関ケ原の戦いで功績を上げますが
その時の傷によって亡くなります。
武田信吉【徳川家康の子供(実の息子)】
武田信吉の母は
武田家臣の養女だったため
武田信吉は武田氏を継ぎます。
しかし武田信吉病弱だったため
21歳で亡くなってしまったそうです。
松平忠輝【徳川家康の子供(実の息子)】
松平忠輝は長沢松平氏の家督を相続。
兄の秀忠から改易を命じられて
流罪で伊勢国に。92歳という長寿でした。
松平松千代・平岩仙千代【徳川家康の子供(実の息子)】
松平松千代は、生後間もなく
長沢松平家を継いでいて
平岩仙千代は平岩親吉の養子となります。
しかし2人とも、幼くして亡くなっています。
徳川義直【徳川家康の子供(実の息子)】
徳川義直は、尾張へ入国し、
徳川御三家である尾張徳川家の始祖となりました。
徳川頼宣【徳川家康の子供(実の息子)】
徳川頼宣は
徳川家康の十男です。
徳川頼宣は紀州藩主となり、
徳川御三家の紀州徳川家の始祖となります。
徳川頼房【徳川家康の子供(実の息子)】
徳川頼房は、徳川御三家のひとつ
水戸徳川家の始祖となります。
3代将軍の徳川家光に信頼されていたことから、
水戸藩主が「副将軍」と呼ばれるようになったそうです。
5人の娘について【徳川家康の子ども(実の娘)】
- 亀姫(かめひめ)
- 督姫(とくひめ)
- 振姫(ふりひめ)
- 松姫(まつひめ)
- 市姫(いちひめ)
亀姫(かめひめ)
徳川家康の実の娘「亀姫」は
奥平信昌に嫁ぎます。
督姫(とくひめ)
徳川家康の実の娘「督姫」は
北条氏直に嫁ぎます。
しかし北条氏の滅亡後に、
督姫は池田輝政と再婚しています。
振姫(ふりひめ)
徳川家康の実の娘「振姫」は
蒲生秀行に嫁ぎますが
亡くなったため浅野長晟と再婚します。
松姫(まつひめ)と市姫(いちひめ)
徳川家康の実の娘「松姫」と「市姫」は、
幼くして亡くなったと言われています。
徳川家康の子供(養女)「満天姫」について
さらに、22人の養子・猶子も含めると
全部で38人の子供がいたのです。
徳川家康の実の子どもは16人ですが
その他にも多くの子どもがいました。
徳川家康の養子として
特に有名な子どもは満天姫(まてひめ)です。
満天姫の本当の父親は松平康元ですが
徳川家康の養女となります。
この満天姫。
とても波乱万丈な人生を歩んでいます。
満天姫の人生については
こちらの記事でまとめたので
興味のある方はぜひご一読ください。
最後に
この記事では
徳川家康には何人の子供がいたのか、
息子や娘の生涯についても紹介しました。