徳川家康の妻(奥さん)は20人以上!?【徳川家康の妻の生涯についても簡単に紹介】

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美しい妻
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歴史を動かした徳川十五代の妻たち (青春文庫)

 

昔の日本は、一夫多妻制で
大名には何人もの妻がいるのが当たり前でした。

 

その中でも、250年以上続いた
江戸幕府を開いた徳川家康には
20人以上の妻がいたというのです!

 

この記事では、
徳川家康の妻(奥さん)について、
その妻(奥さん)の生涯なども簡単に紹介します。

 

 

 

徳川家康の妻(奥さん)について

徳川の女―家康の長女・亀姫〈上巻〉

 

徳川家康の妻(奥さん)は、
次の人たちが記録に残っています。

徳川家康の妻(奥さん)
  1. 築山殿(つきやまどの)
  2. 朝日姫(あさひひめ)
  3. 小督局(こごうのつぼね)
  4. 西郡局(にしごおりのつぼね)
  5. 西郷局(さいごうのつぼね)
  6. 阿茶局(あちゃのつぼね)
  7. 下山殿(しもやまどの)
  8. お松(おまつ)
  9. 茶阿局(ちゃあのつぼね)
  10. お竹(おたけ)
  11. お仙(おせん)
  12. お牟須(おむす)
  13. お亀(おかめ)
  14. 普照院(ふしょういん)
  15. お梶(おかじ)
  16. お万(おまん)
  17. お奈津(おなつ)
  18. お梅(おうめ)
  19. お六(おろく)
  20. 信寿院(しんじゅいん)

 

築山殿【徳川家康の妻(奥さん)】

築山殿(つきやまどの)無残 (講談社文庫)

 

現在でも名前が知られている
築山殿(つきやまどの)は、
徳川家康最初の正室です。

 

今川義元の姪で、徳川家康
今川家の人質のときに結婚します。

 

のちに、長男の徳川信康とともに
武田氏との内通を疑われてしまって
織田信長から死罪を命じられました。

 

 

 

朝日姫【徳川家康の妻(奥さん)】

徳川家康(11) 竜虎の巻 (山岡荘八歴史文庫)

 

朝日姫(あさひひめ)
徳川家康継室(後妻)
豊臣秀吉の妹にあたります。

すでに結婚していましたが
強制的に離縁させられて、徳川家康に嫁がされました。

 

 

 

小督局【徳川家康の妻(奥さん)】

 

小督局(こごうのつぼね)徳川家康
最初の側室(正妻以外の妻)で、
元々は築山殿の侍女でしたが
徳川家康の手付となります。

 

のちに徳川家康の次男「徳川秀康」を出産。

 

徳川秀康の急死後は
徳川家康の許可なく出家し、長勝院と改めます。

 

 

西郷局【徳川家康の妻(奥さん)】

戦国大戦)R★徳川家)西郷局(016)

 

西郷局(さいごうのつぼね)は通称お愛の方で
はじめは下級武士に嫁いでいました。

夫が戦死して、
徳川家康に見初められ
側室(正妻以外の妻)となります。

 

温和誠実な人柄で
徳川家康からも信頼され、
周囲の家臣や侍女たちにも好かれていたそうです。

 

 

阿茶局【徳川家康の妻(奥さん)】

阿茶局

 

阿茶局(あちゃのつぼね)
武田氏の家臣の娘です。

今川氏の家臣に嫁ぎましたが、
夫の死後に徳川家康の側室(正妻以外の妻)となります。

 

大坂冬の陣では
和睦交渉の使者を務めるなど、
徳川家康から諸事一切を任されました

 

 

 

下山殿【徳川家康の妻(奥さん)】

 

下山殿(しもやまどの)
武田氏の家臣の娘ですが
穴山梅雪の養女になっています。

武田滅亡の後に
徳川家康の側室(正妻以外の妻)となります。

 

 

 

お亀【徳川家康の妻(奥さん)】

 

お亀の方は石清水八幡宮の
祀官家の田中氏の分家である京都正法寺の志水宗清の娘です。

 

徳川家康の側室となり、
のちに尾張徳川家の始祖となる徳川義直を産んでいます。

 

 

お万【徳川家康の妻(奥さん)】

 

お万の方は、
三島の宿で女中をしていたときに
徳川家康に見初められて側室になります。

徳川家康との間に息子の頼宣・頼房を出産、
この2人はのちに徳川御三家の始祖となります。

 

 

お梅【徳川家康の妻(奥さん)】

 

豊臣家家臣の娘で、15歳で
当時59歳の徳川家康の側室となります。

のちに本多正純の継室になりました。

 

最後に

天下取りに絡んだ戦国の女~政略結婚クロニクル~

この記事では
徳川家康の妻についてや
その妻の生涯についても簡単に紹介しました。

 

 

 

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