伏見城ってどんな城?城主は誰?【伏見城の歴史や、観光での見どころをわかりやすく解説】

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豊臣秀吉と京都―聚楽第・御土居と伏見城

 

伏見城(ふしみじょう)とは
京都府京都市伏見区桃山にあった城です。

 

伏見城とはどんな城だったのか?
伏見城の城主は誰だったのか?

 

この記事では
伏見城の歴史城主だけでなく
観光での見どころについても
わかりやすく解説していきます。

 

 

伏見城の歴史について

戦国の城 豊臣秀吉 伏見城 お城 模型 ジオラマ完成品 A5サイズ

 

伏見城の歴史は
安土桃山時代にまで遡ります。

そもそも、日本の歴史区分に
安土桃山時代】があるのは、
この桃山城とも呼ばれた伏見城と
安土城のことを指しています。

 

 

この伏見城の城主は豊臣秀吉
1592年に、自分の隠居生活を送る為の
城として築城の工事を始めます。

 

 

1594年には豊臣秀吉が入城しましたが、
その2年後に起きた地震で倒壊してしまい
約500m北に移されて築き直されます。

なお、最初の伏見城と区別するらめに
この築きなおされた2代目の伏見城は
指月伏見城(しげつふしみじょう)とも呼ばれます。

そして1597年に、伏見城は完成しましたが
豊臣秀吉は翌年に、この伏見城で亡くなります。

 

 

秀吉の死後は豊臣家に代わって、
当時五大老であった徳川家康
伏見城に入って政務を執り行います。

 

関ヶ原の戦いの際には
徳川家の家臣が伏見城を守っていましたが
石田三成率いる西軍に攻められて、
建物の大半が焼失します。

 

 

焼失した伏見城は、1602年に
家康によって再建されます。

この3回目の伏見城は
木幡山伏見城(こはたやまふしみじょう)とも呼ばれます。

木幡山伏見城は、徳川家光によって
1619年に取り壊されました。

 

この時の伏見城の建物や部材は、
二条城や淀城、福山城などに移されています。

 

 

現在伏見城のあった跡地付近には、
洛中洛外図で描かれた伏見城を参考にした
5重6階の大天守と3重4階の子天守、
櫓門などを伴った模擬天守が造られています。

 

 

伏見城の見どころとは?観光前に要チェック!

蘇る城 (別冊宝島 2401)

 

ここでは
伏見城の見どころ
紹介していきます。

 

伏見桃山城運動公園【伏見城の見どころ】

 

伏見城跡には、かつて
「伏見桃山城キャッスルランド」という
遊園地が建てられて、一緒に
伏見城の模擬天守が造られますが、
遊園地は閉園となります。

しかし模擬天守は京都市民の運動によって
伏見のシンボルとして保存されることとなり、
伏見桃山城運動公園として整備されたのです。

 

模擬天守は耐震基準を満たしていないことから
内部は非公開となっていますが、
その美しい外観から、ドラマやテレビの撮影にも使われています。

 

御香宮神社【伏見城の見どころ】

 

御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)の表門は、
伏見城で使われていた大手門が使われています。

これは1622年に、
水戸黄門の父である徳川頼房によって
移築されたもので、重要文化財に指定されています。

拝殿近くには、御香水と呼ばれる湧水もあります。

 

最後に

戦国大乱〈21〉伏見城激戦! (歴史群像新書)

 

この記事では伏見城の歴史や城主、
観光での見どころについても
なるべくわかりやすく解説しました。

城の歴史に興味のある方や
これから伏見城を観光する方などにとって、
この記事が少しでも参考になれば幸いです。

 

 

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