西郷隆盛の妻「愛加那(あいかな)」ってどんな人?【わかりやすく簡単な言葉で解説】

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愛加那と西郷 (小学館文庫)

 

西郷隆盛(さいごうたかもり)は幕末期に
活躍したことで、とても有名な人物です。

 

そんな西郷隆盛には生涯3人の妻がいて
2番目の妻は「愛加那」という女性でした。

西郷隆盛の妻「愛加那」は
幕末期(江戸時代末期)から
明治時代までを生きた女性です。

誕生時期:1837年
死亡時期:1902年

 

この記事では西郷隆盛の妻
「愛加那(あいかな)」とはどんな人かを
わかりやすく簡単なな言葉で解説していきます。

 

 

 

西郷隆盛の妻「愛加那(あいかな)」について

愛加那 奄美大島開運酒造 奄美黒糖焼酎 25度 720ml

愛加那の誕生日

愛加那は、奄美大島の名門一族である
龍家(田畑家)の娘として生まれます。

1837年頃に生まれた為、西郷隆盛とは
およそ9歳差ということになります。
※愛加那の具体的な誕生日は不明です。

名前は「とま、とぅま」でした。

 

 

 

愛加那と当時の奄美大島

豊かな自然と海に囲まれた奄美大島は
かつて琉球王国の一つでした。

しかし1609年に、薩摩藩が琉球を侵攻し
奄美大島は薩摩に権力でおさえつけられます。

薩摩藩は、島民に最もお金が儲かる
サトウキビの栽培を強制した為、
多くの田畑はサトウキビ畑となります。

当時の奄美大島は黒糖地獄と化していました。

 

 

 

愛加那と西郷隆盛の出会い

あんご愛加那

西郷隆盛は、1858年に京都の僧侶である
月照(げっしょう)との入水事件で一命を取り留めます。

薩摩藩では西郷隆盛の処分に困った結果、
彼を奄美大島へ島流しする措置を取ります。

菊池源吾(きくちげんご)”という偽名
死んだことに見せるための墓まで用意します。

 

1859年1月、奄美大島での西郷隆盛
一人で木刀を振り回すなどして
大和のムフリン(狂人)」と噂されます。

そんな西郷隆盛ですが、
奄美大島には顔立ちのはっきりした
美人が多いことに驚いたそうです。

 

次第に島民とも打ち解けていた
西郷隆盛は、島妻(アンゴ)を勧められます。

当時の薩摩には「島妻制度」があり
島妻を薩摩へ連れて帰ることはできないが
島妻との子どもは薩摩で教育を
受けることができるといった内容です。

そこで持ち上がったのが、
島一番の名家である龍家のとま(愛加那)でした。

 

 

西郷隆盛と愛加那と子ども

とまは西郷隆盛と結婚して
愛加那と名前を改めます。

2人はとても仲が良かったようで、
西郷隆盛が人前でも愛加那の体を触り、
周囲の人は目のやり場に困ったとか。

 

その後、愛加那は2人の子どもを産みます。

しかし、長男の菊次郎が生まれて間もない
1862年、西郷隆盛は薩摩へ戻ることとなります。

 

愛加那と西郷隆盛の永遠の別れ

西郷隆盛は薩摩に戻った同年に
島津久光を怒らせた為、徳之島へ
ふたたび島流しとなります。

 

このとき、愛加那は2人の子どもを連れて
徳之島へ西郷隆盛に会いに行っています。

 

親子の再会を喜ぶのもつかの間、
西郷隆盛はさらに遠い沖永良部島へ島流しに。

 

これが、西郷隆盛と愛加那との
永遠の別れとなったのです。

 

薩摩に戻った後も、西郷隆盛
愛加那や子どもたちの暮らしを気にかけてお金を送り続けたそうです。

 

 

愛加那の最期

菊次郎と菊子は、成長した時点で
薩摩の家に引き取られます。

愛加那は、奄美大島で暮らし続けて
1902年9月28日に、農作業中に倒れて亡くなります。享年65歳。

 

 

 

最後に

愛加那と西郷 (小学館文庫)

 

この記事では西郷隆盛の妻
「愛加那(あいかな)」ってどんな人かを
わかりやすく簡単なな言葉で解説しました。

 

 

 

 

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