狩野永徳(かのうえいとく)とは
幕末期(室町時代後期)から
安土桃山時代までを生きた絵師です。
誕生時期:1543年2月16日
死亡時期:1590年10月12日
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狩野派の代表的な画人であり、
日本の美術史上で最も有名な絵師の一人です。
狩野永徳とはどんな人だったのか
何をした人だったのか?などなど
狩野永徳の作品や
狩野永徳について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
目次
狩野永徳ってどんな人?
狩野永徳の誕生日
狩野永徳(かのう えいとく)は、
1543年2月16日(天文12年1月13日)に
京都で絵師の狩野松栄(かのうしょうえい)の長男として生まれます。
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狩野永徳は、狩野派2代目である
狩野元信(かのうもとのぶ)の孫にあたります。
狩野永徳と御用絵師
父の狩野松栄から画法を習い、
祖父の狩野元信から筆法を学びます。
1576年頃から織田信長の御用絵師となり、
安土城に障壁画を描いています。
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晩年には、後陽成天皇の内裏の障壁画を
担当したり、八条宮家の障壁画も描きます。
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狩野永徳の最期
しかし、その生涯は短く
1590年10月12日(天正18年9月14日)に
狩野永徳は病死します。享年48歳。
狩野永徳の死因は過労という考え方も残されています。
狩野永徳の作品について
狩野永徳の作品で、現存している
代表作には、次のものがあります。
これらの作品について
以下で簡単に解説していきます。
唐獅子図屏風【狩野永徳の作品】
『唐獅子図屏風』は、豊臣秀吉が
毛利輝元に贈ったとも伝わりますが、
豊臣秀吉のお城の大広間を飾る
障壁画だったという説もあります。
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その大きさは縦224㎝に横453㎝と
本間屏風としては異例の大きさであり、
力強い筆法で描かれている迫真の作品です。
狩野永徳の作品として非常に有名な
唐獅子図屏風ですが、実は皇室の所有物で、
国宝や重要文化財の保護対象ではないことから、
国宝に指定されていないそうなんです。
洛中洛外図屏風【狩野永徳の作品】
『洛中洛外図屏風』は、織田信長が
上杉謙信に贈ったものであり、国宝です。
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京都の中心部である洛中と、
その郊外である洛外を高いところから
見下ろし眺めている視点で描いています。
祇園祭で賑わう街並みを中心に、御所や
清水寺、東寺などの建物が描かれていて、
総勢2485人の人々も細かく表現されています。
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聚光院障壁画【狩野永徳の作品】
『聚光院障壁画』は、狩野永徳が
父の狩野松栄と共に描いた障壁画です。
狩野永徳が担当した「花鳥図」は
とくに有名であり、24歳のころの作品と
されていましたが、近年の研究では
40歳頃の作品という説も有力になってきています。
若々しく力強く盛り上がっている梅の木や
まっすぐに伸びる凛とした枝の描写などは
狩野永徳のみずみずしい生命感にあふれていると評価されています。
最後に
この記事では、狩野永徳や
狩野永徳の作品についてを
なるべくわかりやすく簡単な言葉で解説しました。
少しでもあなたの参考になれば幸いです。