織田信長といえば、
日本では知らない人がいない程、
とても有名な歴史上の人物です。
そんな織田信長の子供は
何人いたと思いますか?
実は織田信長には、なんと
子供が20人以上もいたというんです!
しかし、織田信長の子どもの話って
あまり聞いたことが無いですよね?
この記事では、織田信長には
本当に子供が20人以上いたのか、
息子や娘の生涯や裏話なども解説します。
織田信長の子どもは、何人いたのか?
織田信長には、合計で子どもが何人いたのでしょうか?
分かっているところだと
男子が11人もしくは12人、
女子が12人で、少なくとも
20人以上いたことが分かっています。
しかし母親が誰なのか不明であったり、
子供についての史料が少なすぎたりと、
織田信長の子供の数を明確に知ることは難しいです。
また、
織田信長の実子だけでなく
養女が4人いたことから、
総勢最大28人の子どもがいた可能性があります。
織田信長の子供(息子)とその生涯
織田信長の子供(息子)を紹介していきます。
- 織田信忠(おだ のぶただ)
- 織田信雄(おだ のぶかつ)
- 織田信孝(おだ のぶたか)
- 羽柴秀勝(はしば ひでかつ)
- 織田勝長(おだ かつなが)
- 織田信秀(おだ のぶひで)
- 織田信高(おだ のぶたか)
- 織田信吉(おだ のぶよし)
- 織田信貞(おだ のぶさだ)
- 織田信好(おだ のぶよし)
- 織田信正(おだ のぶまさ)
- 織田信次(おだ のぶつぐ)
織田信忠【織田信長の子供(息子)】
織田信長の長男は織田信忠。
織田信長から織田家の家督と
尾張の一部を譲り受け岐阜城の城主となります。
その後、大坂攻めに出陣したりと活躍を見せましたが、本能寺の変に遭遇して父・信長と一緒に自害。
織田信雄と織田信孝【織田信長の子供(息子)】
織田信長の次男は織田信雄、三男が織田信孝です。
実は信孝の方が先に産まれたのですが
母親の身分が低いということで
三男に位置づけられています。
三男の信孝は豊臣秀吉と対立して
26歳という若さで自害に追い込まれます。
織田信雄は内大臣となり、隠居生活を過ごして72歳で亡くなりました。
四男・五男・十男・十一男は母親不明【織田信長の子供(息子)】
織田信長の四男は豊臣秀吉の養子となり「羽柴秀勝」と名乗りますが、病弱だった為、7歳でこの世を去っています。
五男の織田勝長は
未亡人のおつやの方の養子となりますが、
本能寺の変の際に明智光秀と戦い討死。
織田信正は実在したのか?【織田信長の子供(息子)】
先に織田信長の息子の人数を
11人もしくは12人と述べましたが、
それは史料の少なさから、
この織田信正が実在したのか
はっきりしていないからなのです。
もし、実在したとすると
1554年に産まれていて、本来ならば
信正が嫡男(跡継ぎ)ということになり
さらに93歳まで生きていたことになるのです。
謎は深まるばかりですね…
織田信長の子供(娘)について
織田信長は息子だけでなく娘も10人以上います。
- 徳姫(とくひめ)
- 冬姫(ふゆひめ)
- 織田秀子(おだ ひでこ)
- 永姫(えいひめ)
- 報恩院(ほうおんいん)
- 於振(おふり)
- 源光院(げんこういん)
- 三の丸殿(さんのまるどの)
- 鶴姫(つるひめ)
- 慈眼院(じげんいん)
- 月明院(げつみょういん)
- 足利夫人(あしかがふじん)
徳姫は織田信長の長女で、徳川家康の嫡男・松平信康に嫁ぎます。
しかし夫・信康や姑と不仲となった為
織田信長に「信康が武田氏と内通している」と
訴え、自害に追い込んだと言われています。
最後に
織田信長の子供は20人以上。
織田信長の息子の生涯や
織田信長の娘のことについても
正直、謎がたくさん残っています。