亀山城ってどんな城?明智光秀と深く関係がある?【亀山城の歴史や見どころも詳しく解説】

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亀山城ってどんな城か知っていますか?

 

誰がどんな目的で建てた城なのか
歴史に触れていくとともに、
見どころなどについても
この記事で詳しく解説していきます。

 

亀山城とは?

亀山城は1578年(天正6年)、
丹波国桑田郡亀岡に建てられた城です。

現在でいうと、
京都府亀岡市荒塚町周辺に位置していました。

亀山城は織田信長の指示により
明智光秀によって丹波統治の拠点として築城されます。

 

亀山城の歴史

亀山城の歴史について
3つの時代に区切って解説していきます。

  • 安土桃山時代
  • 江戸時代
  • 明治以降

安土桃山時代

亀山城は
1577年(天正5年)に築城が開始され翌年には完成します。

口丹波にある亀岡盆地の中心であった亀山に
3重3階の天守が建てられました。

その4年後の1582年(天正10年)に
明智光秀本能寺の変を起こしたのち、
山崎の戦で羽柴秀吉に敗戦し討死してしまいます。

 

その後は天下を統一した秀吉の
重要拠点として数々の人物が城へと入りました。

  • 羽柴秀勝(信長の子)
  • 豊臣秀勝(秀吉の甥・江の夫 )
  • 豊臣秀俊(小早川秀秋)
  • 前田玄以

 

江戸時代

秀吉の死後は
徳川家康もこの城を重要視し、
1609年(慶長14年)に譜代大名である
岡部長盛が入り丹波亀山藩主となりました。

さらに江戸幕府が西国大名に命じ、
近世城郭として亀山城を大修築させます。
※近世城郭とは、高い石垣や広大な水堀・瓦葺きの建物などを備えたもの

そして、
1610年(慶長15年)に
本丸には5重の層塔型天守が出来上がりました。

1748年(寛延元年)以降は、
形原松平氏が居城しています。

 

明治以降

明治に入ると
1869年(明治2年)に亀岡藩へ改称し
1871年(明治4年)に亀岡県が置県されて廃藩となりました。

その後、
1877年(明治10年)に政府が廃城処分を決定し、
1889年(明治22年)には市町村に払い下げされ転売されてしまいます。

1919年(大正8年)に
新宗教「大本」の指導者が本城を購入するも
拡大を続ける大本に
大日本帝国政府が警戒を強め、
1935年(昭和10年)に起きた第二次大本事件で徹底的な弾圧を加えます。

そして、
所有権を格安値で亀岡町に譲渡させ、
1936年(昭和11年)に本城の破壊し
神殿はダイナマイトで爆破してしまいます。

戦後に本城の所有権は再び大本に渡り、
そのまま大本の聖地として現在に至っています。

 

亀山城の見どころ

亀山城は城自体は残っていないものの、
石垣は修復され残っています。

宗教法人大本の敷地内にあり、
大本本部のみろく会館で受付を行うと
内堀跡や本丸付近の石垣を見学することができます。

また、
亀山城の資料パネルや模型があり
現存の櫓の鯱(やぐらのしゃち)が展示されています。

有料版の冊子の「丹波亀山城と大本」には
明智光秀から現代の大本まで
亀山城址の辿った歴史が記載されてたものもあります。

 

最後に

明智光秀には居城する坂本城がありましたが
築城の名手としての才能を持っていたため、
織田信長より亀山城も任されることとなりました。

しかし、
君主である信長を討ち、
明智光秀は築城からわずか4年で亡くなるも
その後も亀山城は丹波統治の重要な拠点として使われていました。

 

今は当時の城を見ることはできませんが
石垣の風景など明智光秀が見ていたであろう光景を少し眺めることができます。

京都亀岡市を訪れたら
一度は見学したいおすすめの場所です。

 

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