服部半蔵とは?【服部正成についても詳しく解説】

服部半蔵(はっとりはんぞう)とは
江戸時代に活躍した忍者として有名です。
歴史ものの小説やゲームだけでなく
忍者のフィクションなどでも必ずと
言っていいほど登場してくる服部半蔵ですが
一体どんな人だったのでしょうか?
この記事では、
「服部半蔵」とは何か
服部正成についてもわかりやすく簡単な言葉で解説していきます。
服部半蔵とは世襲名
「服部半蔵」とは世襲名の役職で
服部半蔵家では、代々服部半蔵を名乗ります。
初代服部半蔵の服部保長(やすなが)は
伊賀を出て室町幕府12代将軍の
足利義晴に仕えた忍者だったとされています。
しかし、室町幕府はすでに衰退していた為
服部保長は見切りをつけて、徳川家康の
祖父にあたる松平清康に仕えたそうです。
代々伝わる服部半蔵
次の人物は、「服部半蔵」を
名乗ったとして記録が残っています。
- 服部半蔵(半三)保長/正種
- 服部半蔵正成
- 服部半蔵正就
- 服部半蔵正重
- 服部半蔵正吉
- 服部半蔵正勝
- 服部半蔵正秀
- 服部半蔵正輔
- 服部半蔵正明
- 服部半蔵正盈
- 服部半蔵正賢
- 服部半蔵正礼
- 服部半蔵正啓
- 服部半蔵正綏
- 服部半蔵正義
3代目当主の服部半蔵正就は
1615年に起きた大坂夏の陣の最中に
消息を絶って、ここで徳川幕府に
仕えた服部半蔵は断絶してしまいます。
しかし服部正就の嫡男であった服部正辰が
徳川家康の異父弟にあたる桑名藩主の
松平定勝に仕え、服部半蔵の名を受け継ぎます。
服部半蔵家は明治時代まで桑名藩の家老を務めています。
服部半蔵2代目当主「服部正成」とは?
服部半蔵として一般的に知られているのは、
2代目当主であった服部正成(まさなり/まさしげ)です。
服部正成は1542年に初代服部半蔵であった
服部保長の四男として生まれます。
16歳で三河宇土城の夜襲に戦功を立てます。
また1582年の本能寺の変では、
明智光秀軍に退路を断たれた徳川家康を
伊賀者、甲賀者を使って無事に岡崎城へ送り届けます。
徳川家康は、この時に伊賀者300人を
「伊賀同心」として服部正成に支配させます。
それ以降も1590年の小田原征伐などで戦功を
多く立てて、遠江国に8000石の領地を得ます。
江戸城の半蔵門の名前は、
門外に服部正成の屋敷があったことから
後世で名付けられました。
服部正成は
1597年1月2日(慶長元年11月14日)に亡くなります。享年54歳。
忍者は初代服部半蔵だけ!?
服部半蔵というと、
”伊賀の忍者”というイメージが強いのですが、
忍者だったのは初代だけであり、
2代目以降は忍者でなかったと考えられています。
一般的に知られている服部半蔵は
2代目当主である服部正成ですが、
彼は伊賀から三河に移り住んだことで
忍者としての修行を受ける機会がなかったと言われています。
最後に
この記事では、服部半蔵とは何か
服部正成についてもわかりやすく簡単な言葉で解説しました。
少しでもあなたの参考になれば幸いです。