石田梅岩ってどんな人?何をした人?【都鄙問答(とひもんどう)についてもわかりやすく簡単な言葉で解説】

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魂の商人 石田梅岩が語ったこと

 

石田梅岩(いしだばいがん)
江戸時代を生きた思想家、倫理学者です。

誕生時期:1685年10月12日
死亡時期:1744年10月29日

 

都鄙問答(とひもんどう)」の著者であり
石門進学の祖として有名です。

 

石田梅岩とはどんな人だったのか?
何をした人だったのか?などなど
石田梅岩についてや
都鄙問答(とひもんどう)についても
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。

 

石田梅岩ってどんな人?

なぜ名経営者は石田梅岩に学ぶのか?

石田梅岩の誕生日

石田梅岩(いしだ ばいがん)は
1685年10月12日(貞享2年9月15日)
丹波国(現在の京都府亀岡市)
百姓の次男として生まれます。

 

11歳で呉服屋に勤めますが
呉服屋が倒産したので故郷に戻ります。

23歳に、再び京の呉服屋で働きます。

 

石田梅岩という人物

石田梅岩という人物は、
仕事を真面目にする一方で
常に物事の本質を探ろうとしたそうです。

時には周囲の人からも
理屈が多い」と煙たがられることも。

 

非番の休みも取らずに働く石田梅岩に、
勤め先のおばあさんからも
「たまには外に出ては」と夜遊びを
勧められたことがあったそうです。

 

石田梅岩と儒学

石田梅岩の勤勉な仕事ぶりによって
順調に呉服屋の番頭にまで昇進します。

 

その間も「いかに生きるべきか」を考え、
神道の本や四書五経などを読みながら
人の人たる道】を追求していきます。

 

こうして、石田梅岩は儒学を独学します。

 

石田梅岩と小栗了雲

1727年、42歳の石田梅岩は
在家の仏教者である小栗了雲
出会って、その教えを受けます。

 

そして石田梅岩は、人の道、特に
商人の道を説くことを思い立つのです。

 

石田梅岩の石門心学

1729年に石田梅岩は
性別を問わず、紹介も一切必要ない
無料の講座を、自宅で毎晩開きます。

 

石田梅岩は、朱子学(新儒学)を基本に
神道、仏教、老荘などを取り入れており
社会的職務を遂行する上では、
商人も武士には劣っていないと説きます。

その一方で、悪徳商人を非難して
商業道徳の確立を主張したのです。

 

当時、都市には全国から流入した
無職の武士や農民であふれていていました。

かたや裕福な生活をしている商人の行動や
「商人道徳」に対して厳しい批判があったのです。

 

石田梅岩は、
商人が利益を得るのは恥ずべきことではなく、
そこには”道”がある、ということを説きました。

 

また、商人だけではなく町人に
学問とは心を尽くし性を知る」として
その”生”の意味を教えます。

 

これらの思想および教化運動は
石門心学(せきもんしんがく)と呼ばれます。

 

石田梅岩の最期

石田梅岩は
1744年10月29日(延享元年9月24日)
亡くなります。享年60歳。

 

石田梅岩の「都鄙問答」とは?

石田梅岩『都鄙問答』 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ14)

 

都鄙問答(とひもんどう)』とは
石田梅岩が書いた心学書です。

著者、石田梅岩の
石門心学の根本原理
述べています。

 

神儒仏三教の思想を、自身の呉服での
商人としての体験に基づいて記しています。

江戸時代後期の町人たちに
新しい商品経済の担い手となる道を説きます。

 

著書の構成は、石田梅岩が毎晩無料で開いた
講義における、門人との問答から成り立っています。

 

最後に

魂の商人 石田梅岩が語ったこと

 

石田梅岩とはどんな人だったのか?
何をした人だったのか?などなど
石田梅岩についてや
都鄙問答(とひもんどう)についても
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。

 

少しでもあなたの参考になれば幸いです。

 

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