治安維持法とは何か?【簡単にわかりやすく解説】
治安維持法(ちあんいじほう)は
大正時代に制定された法律です。
1941年に全部改定されましたが、
どのような法律だったのでしょうか?
治安維持法とは何か?
どのような法律だったのか?などなど
治安維持法について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。
治安維持法とは?
治安維持法とは、
1925(大正14)年4月22日に公布されて
5月12日に制定された
国体(国家の体制)の変革と私有財産制度を
否定する運動を取り締まる法律です。
この治安維持法の目的は
当時の日本社会で流行していた
社会主義運動を弾圧して、天皇制など
国体の変革や私有財産制の否定を掲げた
反国家体制の運動を取り締まることです。
大日本帝国憲法体制下で、
思想運動や大衆運動弾圧の
中心にすえられた法律といえます。
反国家体制の結社を組織したり、
結社の目的を知った上で加担するような
人に対して懲役刑が課せられました。
1928年には、結社を支援するあらゆる行為を
目的遂行のためになっていると見なされた場合、
本人の意図に関わらず検挙できる
「目的遂行罪」も加わります。
治安維持法の成立について
大正デモクラシーが発展した結果、
1925年に加藤高明内閣によって
普通選挙法が成立しましたが、同時に
治安維持法も制定されたのです。
まず、治安維持法が成立された背景には
同年に成立された普通選挙法が関係します。
この頃、日本では自由が求められており
国民も税金を払うだけでなく政治に
参加するべきだという思想が盛んになります。
それまでは国税を15円以上納める
満25歳以上の男子にのみ選挙権が
与えられていました。
しかし新しい普通選挙法では
満25歳以上なら納税額に関係なく
選挙権が得られるようになります。
有権者の割合が増えることによって
政府は、これまで以上に社会運動や暴動、
騒動が起こりやすくなることを懸念します。
その結果、運動や暴動を規制するための
治安維持法が成立されたのです。
治安維持法の影響
逮捕者は数十万人、7万人以上が送検され、
刑務所や拘置所の獄死者は
400人あまりにものぼったそうです。
また宗教団体や唯物論研究会などの学術団体、
芸術団体など、政治とは関係のなさそうな
団体までもが検挙の対象となりました。
『蟹工船』で知られる小林多喜二という
作家もこの法律で逮捕され、拷問死します。
治安維持法は1945年に、
GHQ指令によって廃止されました。
最後に
治安維持法とは何か?
どのような法律だったのか?などなど
治安維持法について
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。