徳川慶喜の子孫(子供や孫たち)について。

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親と子供の手
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徳川慶喜家の子ども部屋 (草思社文庫)

 

徳川慶喜(とくがわよしのぶ)
江戸幕府最後の将軍です。

 

そんな徳川慶喜の子どもや孫などの
子孫は続いているのでしょうか?

 

この記事では
徳川慶喜の子孫(子供や孫)について紹介していきます。

 

 

徳川慶喜の子どもについて

微笑む慶喜: 写真で読み解く晩年の慶喜

 

徳川慶喜には
総勢24人の子どもがいました。

しかし、幼い時に亡くなった子もいて
成人した子どもは6男8女(計14人)です。

 

成人した子どもを産んだのは、
新村信と中根幸という2名の側室です。

 

新村信と徳川慶喜の子どもは
次の7人が成人しています。

  • 長女:鏡子
  • 三女:鉄子
  • 五男:仲博
  • 九女:経子
  • 七男:慶久
  • 十一女:英子
  • 十男:精

 

中根幸と徳川慶喜の子どもは
次の6人が成人しています。

  • 四男:厚
  • 四女:筆子
  • 七女:浪子
  • 八女:国子
  • 十女:糸子
  • 九男:誠

ちなみに七男の徳川慶久の長女は
昭和天皇の次弟の高松宮宣仁親王に嫁いだ喜久子妃です。

 

 

徳川慶喜家について

 

明治維新の後の1868年に、徳川慶喜は
明治新政府に恭順の意を示して隠居します。

 

そして
田安徳川家である
徳川家達(亀之助)に
徳川宗家の家督を譲ります。

のちに徳川慶喜明治天皇に謁見して
公爵を授けられたことをきっかけに
徳川宗家から「徳川慶喜家」という別家を建てたそうです。

 

「徳川慶喜家」は
4代当主にまで受け継がれます。

  1. 徳川慶喜
  2. 徳川慶久
  3. 徳川慶光
  4. 徳川慶朝

徳川慶喜家の人々について紹介します。

 

2代当主の徳川慶久【徳川慶喜家】

 

徳川慶喜の七男である
徳川慶久(よしひさ)が徳川慶喜家を相続します。

徳川慶久は1884年9月2日に静岡県で
生まれた新村信との子どもです。

1884年生まれということは、
明治維新後ということになりますね。

貴族院議員や第一銀行取締役、
華族世襲財産審議会議長などを歴任しますが
37歳という若さで脳溢血で急死します。

眠れなかった為に飲んだ睡眠薬の
量を間違えた過失死だったとされています。

 

3代目当主の徳川慶光【徳川慶喜家】

 

徳川慶光(よしみつ)は2代目当主の徳川慶久
有栖川宮威仁親王の第2女である
實枝子(みえこ)との間で生まれた長男です。

徳川慶喜のひ孫にあたりますが
父の急死によって10歳で家督を継ぎます。

会津松平家の子爵である松平保男の
四女の和子と結婚をします。

終戦後の家族制度の廃止によって、
爵位と貴族議員の議席を失い、
自分の屋敷を財産税にあてたりと、
厳しい生活を強いられたそうです。

晩年は愛人との不倫同棲事件で
和製ウィンザー公と報じられたこともあります。

1993年にパーキンソン病のため80歳で亡くなります。

 

4代当主の徳川慶朝【徳川慶喜家】

 

徳川慶朝(よしとも)は、1950年に
徳川慶光和子との間で生まれます。

徳川慶朝は母方を通じて京都守護職で
会津藩主の松平容保のひ孫にあたります。

写真家として活動する一方で、
コーヒー好きだったことから
「徳川将軍珈琲」の開発や販売も行っていました。

2017年9月25日に心筋梗塞で亡くなります。

 

跡継ぎはいなかった為に、
徳川慶喜家は断絶します。

 

 

最後に

孤高の将軍 徳川慶喜 水戸の子・有栖川宮の孫に生まれて

この記事では
徳川慶喜の子孫(子供や孫)について紹介しました。

 

 

 

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