犬好き「徳川綱吉」ってどんな人?何をした人?【身長やあだ名、死因についても簡単にわかりやすく解説】

徳川綱吉(とくがわつよなよし)とは
江戸時代を生きた、江戸幕府の第5代将軍です。
誕生時期:1646年2月23日
死亡時期:1709年2月19日
犬好きとして知られた徳川綱吉は
「生類憐みの令」を出したことでも有名です。
この記事では
犬好き「徳川綱吉」とはどんな人なのか
徳川綱吉の身長やあだ名、死因などについてもわかりやすく解説していきます。
目次
徳川綱吉とは?わかりやすく簡単に解説
徳川綱吉は1646年に江戸城で誕生します。
父は3代将軍の徳川家光で
母は側室の玉(後の桂昌院)です。
一番年上の兄である4代将軍の徳川家綱が
子どものいないまま急死してしまったため
1680年に徳川綱吉が5代将軍になります。
就任初期は、堀田正敏を雇用して
道徳や法による文治政治を行います。
しかし、堀田正敏が亡くなった後は
柳沢吉保が実権を握ります。
そして徳川綱吉は、かの有名な
「生類憐れみの令」を出したりして
幕府の財政は悪化してしまいました。
徳川綱吉の「生類憐れみの令」とは?
徳川綱吉が出した「生類憐れみの令」とは
生き物を殺すことを禁止した条例です。
子どもに恵まれたなかった徳川綱吉は、
「犬を愛護すれば、前世での罪を消せて子が授かる」と
真言僧の隆光に言われたことから、
この条例が出されたという説もあります。
徳川綱吉の死後に、
この生類憐れみの令はすぐに廃止されました。
徳川綱吉の最期(死因)について
1709年2月19日(宝永6年1月10日)に
徳川綱吉は亡くなります。享年64歳。
徳川綱吉の死因については
いくつかの説があります。
- 成人麻疹
- 窒息死
- 無理心中
これらの説について簡単に紹介します。
成人麻疹【徳川綱吉の死因】
”徳川実記”によると、徳川綱吉の死因は
当時流行していた成人麻疹(はしか)だとされています。
窒息死【徳川綱吉の死因】
徳川綱吉の死因は正月に餅を食べ際に
餅をのどに詰まらせたことによる
窒息死という説もあります。
無理心中【徳川綱吉の死因】
これは徳川綱吉の正室であった
信子による無理心中という説です。
徳川綱吉の死から約70年後に出た
”翁草(おきなぐさ)”によると、
世継ぎに恵まれなかった徳川綱吉は、
寵愛していた柳沢吉里(よしさと)に
将軍職を継がせようとしたそうです。
それだと徳川家の血筋が途絶えてしまうと
信子は猛反対しましたが、聞く耳を持たなかったとか。
悩んだ信子は、
徳川綱吉を刺し殺して
自らも喉をついて自害した
という逸話が残っています。
徳川綱吉の身長は124㎝だった!?
徳川綱吉の身長は、
なんと124㎝の低身長症であったと
いわれているんです。
愛知県にある徳川家の菩提寺の
大樹寺(だいじゅじ)に、
徳川歴代将軍の位牌があります。
その位牌は、故人の身長と
同じ高さに作られているそうなのですが、
徳川綱吉の位牌は124㎝なのです。
しかし、徳川綱吉の身長が
124㎝ではないという説もあります。
その場合、
徳川綱吉が124㎝であったとするのは、
徳川綱吉を嫌っていた6代将軍の家宣と
7代将軍の家継時代の虚偽の記録であると考えられています。
徳川綱吉のあだ名は?
徳川綱吉には犬公方(いぬくぼう)
という”あだ名”があります。
これは犬を過度に大切にした
徳川綱吉に対する世の人々が
批判や皮肉の気持ちを込めてつけたものです。
最後に
動物殺しを禁止する
「生類憐みの令」を出し
犬好きで有名だった徳川綱吉。
徳川綱吉の身長やあだ名、
死因などについても触れながら
徳川綱吉についてなるべくわかりやすく解説しました。
少しでもあなたの参考になれば幸いです。