石橋山の戦いとは何か?【わかりやすく簡単な言葉で解説】

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石橋山の戦い(いしばしやまのたたかい)
平安時代末期に行われた戦いです。

 

治承・寿永の乱と呼ばれる
諸戦役のひとつです。

 

石橋山の戦いとは何か?
どのような戦いだったか?などなど
石橋山の戦いについて
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説していきます。

 

石橋山の戦いとは?

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石橋山の戦いとは、1180(治承4)年
現在の神奈川県小田原市南西の
相模国石橋山で行われた
源頼朝と大庭景親ら平氏方との戦いです。

 

石橋山の戦いは
以仁王の令旨に応じて源頼朝が蜂起し、
平氏と源頼朝が衝突した最初の戦です。

 

この戦いでは、
平氏方の大庭景親が勝利

 

敗れた源頼朝は、海路で
安房(千葉県)に逃れます。

 

その後、源頼朝はふたたび
平氏打倒に立ち上がるのです。

 

石橋山の戦いの経緯

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ここでは
石橋山の戦いの経緯
解説していきます。

 

源頼朝、伊豆へ島流し

1159年、平治の乱で
父の源義朝が亡くなります。

源頼朝は、死刑を免れて伊豆へ島流しに。

 

この伊豆での生活の最中に、源頼朝は
北条時政の娘、北条政子と結婚します。

 

源頼朝と以仁王の令旨

約20年、伊豆での流人生活を送り
以仁王の令旨を受けた源頼朝は
平氏打倒の挙兵を挙げることを決意します。

以仁王の令旨とは、以仁王と源頼政が
諸国の源氏や大寺社に平氏打倒の蜂起を促したのです。

 

石橋山の戦いの様子

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ここでは
石橋山の戦いの様子
解説していきます。

 

源頼朝、挙兵【石橋山の戦い】

治承4年8月17日、源頼朝は挙兵します。

ちなみにこの時、以仁王は
平氏との戦いで敗れ、亡くなっていました。

 

まず源頼朝は伊豆目代山木兼隆を討ちます。

そして一挙に相模制圧を目指しますが
平氏方の大庭景親らに阻まれてしまいます。

 

石橋山での対陣【石橋山の戦い】

そして8月23日、300騎を率いて
源頼朝は石橋山に陣をかまえます。

 

これに対して大庭景親は3000騎以上で
対陣し、さらに後ろでは伊藤祐親が
300騎を率いていました。

 

源頼朝軍、壊滅【石橋山の戦い】

源頼朝方には、三浦義澄らの
援軍が来る予定でした。

しかし、援軍が来る前に平氏方の
襲撃を受けて、源頼朝軍は壊滅します。

 

敗れた源頼朝は、平氏軍の梶原景時という
武士に助けられ、箱根にまで逃れます。

 

梶原景時はのちに、源頼朝に重用されて
鎌倉幕府で活躍することとなります。

 

そして源頼朝は、丸鶴岬より
海を渡って安房国へ避難し、再挙を図ることにしたのです。

 

最後に

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石橋山の戦いとは何か?
どのような戦いだったか?などなど
石橋山の戦いについて
この記事ではなるべくわかりやすく
簡単な言葉で解説しました。

少しでもあなたの参考になれば幸いです。

 

 

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