甲府城ってどんな城?城主は誰?【甲府城の歴史や、観光での見どころをわかりやすく解説】

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甲府城
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日本の城 改訂版 87号 (甲府城) [分冊百科]

 

甲府城(こうふじょう)は
山梨県甲府市にあったお城です。

 

甲府城はどんな城だったのか?
誰が建てたものなのか?

 

この記事では
甲府城の歴史城主だけでなく
観光での見どころについても
分かりやすく解説していきます。

 

甲府城の歴史について

よみがえる日本の城 (11) (歴史群像シリーズ)

 

甲府城の歴史を辿っていくと
室町時代後期にまで遡ります。

室町時代後期といえば
戦国時代ともいわれる激動の時代。

 

武田氏がほろんだ後に
豊臣秀吉の命により、
加藤光泰が甲府城の築城を始めます。

 

その後、甲府へ転封となった
浅野長政浅野幸長父子によって
甲府城が建てられることになりました。

 

そして1593年、浅野長政は
甲府城の城主となります。

甲府城は、古くは甲斐府中城、一条小山城、舞鶴城、赤甲城などとも呼ばれていました。

天正10年(1582)甲斐国は戦国大名・武田氏の滅亡後、まず織田信長の領国となり、本能寺の変の後は徳川家康の支配するところとなりました。しかし、豊臣秀吉が天下統一をなしとげると、秀吉の命令により甥の羽柴秀勝、腹心の部下である加藤光泰らによって築城が始められ、浅野長政・幸長父子によって完成をみました。また、慶長5年(1600)関ヶ原の戦い以降は再び徳川の城となり、幕末まで存続しました。

引用:甲府市公式ホームページ

 

 

甲府城の最新の発掘調査では
金箔をつかった瓦(かわら)が発見され
とても豪華なお城であったと分かっています。

さらに、江戸時代においての
甲府城の城主は徳川家の人物。

そのため、甲府城がいかに重要かつ
格の高い城だったかが推測できます。

 

また、かつて甲府城は
甲斐府中城、一条小山城、
赤甲城などと呼ばれていました。

 

明治時代に入ると、
甲府城は城として使われなくなり
廃城令によって建物は取り壊されます。

 

1964年には都市公園
舞鶴城公園」となります。

1968年には県の指定史跡
甲府城跡」となったのです。

 

最近では舞鶴城公園整備事業が行われ、
鍛冶曲輪門、稲荷曲輪門などの門や
稲荷櫓(いなりやぐら)が復元されています。

 

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甲府城の見どころとは?観光前に要チェック!

日本の城 57号 (甲府城) [分冊百科]

 

ここでは
甲府城の見どころ
紹介していきます。

観光前に要チェックです!

 

舞鶴城公園【甲府城の見どころ】

甲府城とのその周辺は
舞鶴城公園と呼ばれています。

舞鶴城公園は桜の名所としても有名で、
毎年春には多くの花見客が来場します。

また、少しだけ高い場所に位置する為、
花見をしながら景色も楽しめます。

甲府盆地と日本一高い富士山をぜひご覧ください。

 

信玄公祭り

毎年武田信玄の命日である4月12日の
前後には信玄公祭りが行われています。

武田二十四将を模した
時代行列が見られます。

毎年県外や海外からも
多くの観光客が訪れています。

 

 

本丸跡【甲府城の見どころ】

それぞれ鉄門跡・銅門跡から
本丸跡に入ることができます。

広場の真ん中に天守台が
当時のまま残っています。

多少の改変はされていますが、
明治時代に城跡として廃れないよう
模擬天守が立っていたようです。

 

二重の石垣【甲府城の見どころ】

甲府城は石垣が多く、
一部の場所では解体調査の際に
石垣の背後からまた石垣が現れ、
積み直しをしていることが分かりました。

内外の石垣は、どちらも
同じ打ち込み接ぎになっています。

 

最後に

日本の城 改訂版 87号 (甲府城) [分冊百科]

 

この記事では
甲府城(こうふじょう)の歴史や城主、
観光での見どころについても
なるべく分かりやすく解説しました。

 

 

日本のお城の歴史に興味のある方や
これから甲府城を観光する予定の方などにとって
この記事が少しでも参考になれば幸いです。

 

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